書評〕吉田傑俊著『近代日本思想論@福沢諭吉と中江兆民 〈近代化〉と〈民主化〉の思想』(大月書店、2008年)            
                                                                                              岩崎 稔

 

 2008年12月、『市民社会論 その理論と歴史』で著名な吉田傑俊氏の近代日本思想論の、@として、本書が刊行された。この書は、著者が、従来にはなかった独自な方法で迫る、近代日本思想論、思想史展望の書である。

 さて、本書の構成は以下のようになっている。

第一章       福沢諭吉と中江兆民―〈近代化〉と〈民主化〉の思想として

 T 福沢と兆民の生涯と思想

 U 日本の啓蒙思想と自由民権思想

第二章       福沢諭吉の〈近代化〉思想

 T 丸山眞男の福沢評価と日本の啓蒙主義の問題

 U 福沢における人民・文明・国家

 V 福沢の「ナショナリズム」から帝国主義への転回

第三章       中江兆民の〈民主化〉思想

 T 「東洋のルソー」兆民―ルソー思想の主体的摂取

 U 兆民における政治―「君民共冶」論の射程と実践

 V 兆民における「理学」―「リベルテー・モラル」論の発展

第四章       福沢・兆民の思想と現代

(1)   問題の所在―福沢と兆民の思想対立

(2)   文明論―いかなる文明を構築するか

(3)   人民論―啓蒙の対象か政治の主体か

(4)   アジア論―アジアをどうみるか

(5)   社会論―将来社会像をどのように示すか

 

 第一章では、福沢諭吉と中江兆民を〈近代化〉と〈民主化〉の思想として捉え、福沢と兆民の生涯と思想の概略が、時代背景を踏まえて描かれている。著者は「福沢と兆民を日本の啓蒙思想と自由民権思想の代表的思想家であり、日本の近代化の当初に〈近代化〉と〈民主化〉の思想を展開したと位置づけた。そのさい、〈近代化〉とは、前近代的封建制を打破するため、経済的には資本主義の成立、政治的には国民国家の樹立、思想的には自立的人間の形成などを実現した、「ブルジョア革命」と捉える。だが、近代化は資本主義の成立を基礎におくゆえに、その理念である「自由・平等・友愛」の実現は当初から本質的に限定された。この困難を打破すべく、「ブルジョア革命」の進歩性を可能なかぎり追求し、さらにはその歴史的限界性自体を打破しようとする思想や運動を〈民主化〉と規定」(はしがき)されている。

 第二章では、福沢諭吉の〈近代化〉思想を取り上げ、その「意義と限定の解明」を試みる。「従来の福沢論の最大の問題は、一般にそれがブルジョア自由主義か帝国主義への展開か、また中・後期の民権論から国権論への転回または転向の根拠をどこに見出すかにあった。本書では、初期福沢の思想すなわち「一身独立一国独立」(『学問のすゝめ』)と「一国の独立が目的で、国民の文明はその術」(『文明論之概略』)のなかにすでに中・後期福沢の転回または転向が内在していること、また全体として福沢思想はデモクラシーとナショナリズムの拮抗から帝国主義への展開として捉えた。」(はしがき)著者は、丸山眞男の“福沢像”の批判的検討を媒介として、福沢の著述を初期・中期・後期と丹念に検証し、〈近代化〉路線推進の立場を一貫させていった福沢像を対比させて、描いている。

 第三章では、中江兆民の〈民主化〉思想を取り上げ、「兆民が「東洋のルソー」と呼ばれる根拠としての、『民約訳解』におけるルソー解読の独自性」の解明。「つぎに、ルソー解読から導き出した兆民の「君民共冶」論の真意と、兆民がその実践に渾身の努力を尽くした実践の究明」、「さらに兆民が「理学」(東西世界に普遍的な哲学の意)の中心課題とした「リベルテー・モラル」論の発展過程と、彼のいう「実質説」(唯物論)とそれとの関係が究明」されている。ここでは福沢と対照的な道を歩んだ兆民の“ルソーに始まりルソーを超えた”〈民主化〉思想の発展が、描かれている。

 第四章では、福沢・兆民思想の両者を「対比」することによって、両者の思想のもつ論点を浮き彫りにしている。福沢・兆民思想のもつ現代的意義の解明にあてられている。福沢の〈近代化〉思想と兆民の〈民主化〉思想を、〈文明論〉・〈人民論〉・〈アジア論〉・〈将来社会像〉の四つの観点から比較検討され、“福沢は成功し、兆民は失敗した”との評価が「時代の本質を摘出し、時代を超えて継承発展される内実をもった思想か否か」という判断基準に照らせば妥当しない」ということが論証されている。著者は「兆民は時代や時流に〈失敗〉することによって思想的には〈成功〉し続けている。兆民の思想が実現するまで、おそらくそれは輝き続けるだろう」と最後に、述べてられている。

 さて、これらの章立てのなかで示される本書の感想を記してみたい。それは第一に、本書の《表題》にみられるように、福沢と兆民の思想を〈近代化〉と〈民主化〉という対立軸で捉えるという、著者の《視点》は、両者の《思想解読の鍵=方法》であったし、そのゆえに、両者の思想を、結果において検証することを迫られ、両者の思想がどのような意味(根拠)において、〈近代化〉あるいは〈民主化〉の思想であったのか、が重要なかつ主要な問題として問われることになった。私は、著者が、両者の思想の検討のなかで、近・現代史における両者の思想の「意義と限定」(=思想上の位置)を明瞭な形で描き出したこと、著者が描き出す主要点、「明治十四年政変」前後の福沢の思想的転回または転向、その後の「絶対主義的天皇制国家論」(『帝室論』や『尊王論』)、兆民がルソーから人民主権論のみならず、自由論・人間論をも獲得した思想家であり、彼こそは人民主権論を人間自由論・人間存在論において位置づけ実践した思想家である、などが、過去から現在、そして未来へと続く、いまに《明瞭な未来展望》を与えているようにおもえた。著者は「過去を問うことは未来を問うことだ」という、強烈な問題意識で、われわれに迫ってくる。その意味で、読者に、ある種の希望と《確信》を与えたことは事実であろう。

 しかしながら、第二に、福沢諭吉と中江兆民にみる〈近代化〉と〈民主化〉思想の《対抗軸》の強調は、他方、《自由民権運動と政府》との《対抗軸》を薄める結果になってはしないか、この《自由民権運動と政府との対抗関係》と、《近代化と民主化の対抗関係》は、どう結びつくのか、という他方の、疑問が生じる。近世の幕藩体制を解体し、近代の天皇制国家を成立させていった政治変革、社会変革、思想変革の過程を《明治維新》だと考えるが、政府は「国民」を政治運営から排除して、《近代化政策》を上から強力に推し進めた。これに対して、国民の「政治参加をもとめる運動」が起こった。これが《自由民権運動》であった。憲法制定、国会開設は、明治維新につづく近代国家づくりの最大の課題であった。《自由民権運動と政府の対抗関係》は、どのような国家をつくるか、そのあり方をめぐる鋭い対立に根ざしていた。天皇の位置と議会の権限のあり方に対立の焦点はあった。しかし、日本の場合、問題を複雑にしているのは、民権運動の成果として直接、憲法と議会が実現したのではなく、運動が弾圧され、解体された後に、弾圧した政府自体が憲法と議会をつくった点にあった。憲法と議会は運動の勝利のうえに実現したのではなく敗北の結果、日の目をみたともいえる。憲法の起草に国民の参加をもとめるどころか逆に民意を排除してつくられたのが《大日本帝国憲法》だったのである。憲法制定の道のりは、国民の《憲法論議》を保障するどころか、逆に抑えるものであった。大日本帝国憲法制定のプロセスは、自由民権運動の解体のプロセスと一体であった。著者は、福沢諭吉と中江兆民を日本の近代化の出発の時点での〈近代化〉思想と〈民主化〉思想の、まさに《象徴的対立》として設定している。この《二つの思想と対立のもつ現代的意義》について、著者は「結果としては、前者が勝利し後者が敗北したかにみえる。そして、日本近代化の出発点にあたる明治初年におけるこの二つの思想と運動の対立そしてその結果は、その後の日本の進路にほぼ決定的な影響を与えた。」(35頁)と述べられているが、私は日本の進路に決定的な影響を与えたのは、何よりも明治政府によって《国民不在=根こぎ》にさせられた《自由民権・憲法論議=民主化運動の圧殺》にあった。そして問題なのは、その結果が、大日本帝国憲法が施行されてから敗戦後の新憲法が施行されるに至るまで、約半世紀の間、わが国は《天皇主権》の原理に立った明治憲法(天皇制)のもとに統治され、日本は天照大神という天皇の先祖の神勅によって定められたとおり、天皇が主権者として統治すべき国で、この一大原則は、万世一系、天皇とともに無窮であると主張された点にあった。その後の「アジア全域」にひろがったやむ間のない《侵略戦争》は、すべて「天皇」の名によって「天皇」の「軍隊」によって遂行された。

本書は、近・現代史において〈近代化〉と〈民主化〉の意味をあらためて問い直す機会をわれわれに与えている。〔2010・8・3〕

 

【著者からの「書評」評】

 岩崎さま

二度にわたり「書評」原稿を送って頂きありがとうございました。数日留守をしていて返信できなかったことご了解下さい。さて、書評は一読し、つぎのように感じました。

1 私の本の意図と内容を的確に把握・要約していただいていると思います。

2 そのうえでの、3頁以下のコメントも的確と思います。私は福沢諭吉の近代化路線  

  が中江兆民の民主化路線に当初は優越していても、最終的には、後者に止揚される

  ことを指摘したかったのですが、その点「舌足らず」だったかも知れません。その

  点は次作の『「京都学派」の哲学』で補充したいと思います。

ともあれ、懇切な書評を書いていただいたことにお礼を申し上げます。

吉田傑俊(8・5)